人には、自分のやっていることが、
ほんとうにこのままやり続けていいことなのか、
そもそもやるべきだったのか、
グラッと揺らぐときがある。
人は自分が気持ちを込めてつくったものに対する
拒否反応に遭遇すると、
グラッと揺らぐ。
グラッときたとき、自分が揺らいだとき、
「もうやめてしまおうか」と思ったとき、
これまでを振り返って、
そのなかの「やっててよかった」
と思える部分をよく見てみる。
そして問いかけてみるといい。
先程の「 やっててよかった 」
と思える何かを
自分は自分の人生から
捨てられるのだろうか
と
自分の中に
「これだけはやめられない」というものを見る力、
これが結局グラッときたときに、
そのまま揺らいで崩れてしまったり、
やめるべきではないことを
やめてしまったりすることのない力となる。
「 揺らがない力 」とは
文字どおり「揺らがない」ことではなく
揺らいだときに問いかけられる力だ
何か小さな出来事でも、
人生を左右する大きな出来事でもいい。
自分がグラッときたら問いかかけてみよう。
「 やっていて良かった 」と思えることは何だったか。
もうひとつ
「 大事なのは・・・・・
まだ誰も見ていないものを
見ることではなく、
誰もが見ていることについて、
誰もが考えたことがないことを
考えることだ 」
アーウィン・シュレディンガー
物理学者、波動力学、量子力学の建設者として
ノーベル賞を受賞
人は見えているものを全てちゃんと見ているとは限らない。
単に視点の点でいっても、
もともと脳は見えているものを
全て見ないようにできている。
試しにいま、
あなたの周りにあるものを眺めて、
「 赤いもの 」を探してほしい。
そして次に目を閉じて、「青いもの」を思い出してほしい。
きっと思い出せないことだろう。
そのように、脳は関心を向けていないものを
意識にとらえることはできないのである。
「見えないものを見る」ということは、何か不思議な力で、
文字どおり視覚的に他の人には見えていないものが
見えるようになるということではない。
「 見えないものを見る 」とは、
誰もが見ていることについて、
誰もが考えたことがないことを
考えるということと、
深い意味でつながっている。
いずれにしても、
いままで関心を向けていなかったものを
見ようとすることで、
あなたにはいままで見えていなかったものが
見えるようになる。
そうして、あなたの生きる世界は、
確実に変わっていくのである。