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INDY CAR

佐藤琢磨 経歴


佐藤琢磨 Takuma Sato

生年月日:1977年1月28日
出身地:新宿区
身長/体重:164 cm / 59 kg

家族
父親は弁護士の佐藤和利、母親は元舞台女優

2005年7月31日に自身の公式サイトで、
長年にわたって彼を支えてきた「パートナー」である女性(のちに婚姻)
との間に子供が生まれる事を報告。
12月23日に男児が誕生し父親になった。
2008年9月30日に第2子となる女児が誕生した。
現在はアメリカコロラド州デンバー在住。


年譜

1977年1月28日
東京都新宿区戸山に生まれる


1987年
鈴鹿でF1日本GPを観戦し、アイルトン・セナに感激。
モータースポーツに憧れを持つ。


1989年4月
町田市立町田第二中学校に入学。
陸上競技部に所属。

1992年4月
町田市の私立和光高等学校に入学。

1992年初春
自転車競技を開始。
地元のサイクルスポーツ店「たかだフレンド」のクラブに参加する。

1993年8月
シマノ鈴鹿ロードレースで自転車レースデビュー。

1994年3月
高校に自転車競技部がなかったため、担任を顧問に独力で部を立ち上げる(部員は琢磨本人だけ、後に廃部)。

1994年8月10日
第45回インターハイの自転車競技ポイントレースで優勝。

1995年4月
早稲田大学人間科学部スポーツ科学科に特別選抜枠で推薦入学。
自転車部に所属。

1995年9月
全日本大学対抗選手権の自転車競技で2位。

1996年4月
早稲田大学人間科学部を休学。

1996年6月
第37回全日本学生選手権の自転車競技男子4km速度競走で優勝。

1996年初夏
アルデックス・ジャパンでカートレーシングを開始。

1997年
鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)に入学。

1997年
カート地方選手権FA-2関東・西でシリーズ1位、カート地方選手権FA-2関東・東でシリーズ3位。

1997年10月
中谷明彦主宰の中谷塾(ドライビング理論アカデミー)を受講、首席卒業。

1997年12月23日
SRS-Fを首席で卒業。
全日本F3選手権参戦のスカラシップを獲得。

1998年3月
無限×童夢チームから全日本F3選手権に参戦。

1998年7月
無限×童夢チームから離脱。
早稲田大学人間科学部を退学し渡英。
ストラトフォード・アポン・エイヴォンで寄宿生活を始める。

1998年7月
イギリスのフォーミュラ・ボクスホールJr.に参戦。

1998年10月
イギリスのフォーミュラ・オペル・ウィンターシリーズに参戦。シリーズ3位。

1999年3月
フォーミュラ・オペル・ユーロカップに参戦。
イギリス選手権で2位。

1999年3月
フォーミュラ・オペル・ユーロシリーズに参戦。シリーズ6位。

1999年3月
most improved driver of the yearを受賞。

1999年7月
ダイヤモンド・レーシングからイギリスF3選手権ナショナルクラスに参戦。6戦中3勝を挙げる。

1999年11月20日
マカオGPエリクソン・フォーミュラ・チャレンジで優勝。

2000年3月
カーリン・モータースポーツからイギリスF3選手権に参戦。当時日本人史上最多の4勝、シリーズ3位。

2000年3月
フランスF3選手権にスポット参戦し、優勝。

2000年12月
ジョーダン・無限-ホンダのテストに参加。F1初ドライブ。

2001年1月
B・A・R ホンダのテスト・ドライバーに就任。

2001年3月
前年に引き続きカーリン・モータースポーツからイギリスF3選手権に参戦。
12勝で日本人初のイギリスF3チャンピオンに輝く。

2001年7月
F3インターナショナル・インビテーション・チャレンジで優勝。

2001年8月
マールボロマスターズF3で優勝。

2001年10月
2002年ジョーダン・ホンダのレギュラードライバーとしてF1参戦発表

2001年11月18日 – マカオGP・F3レースで日本人として初の優勝。

2002年3月
ジョーダン・ホンダからF1世界選手権に参戦。シリーズ15位。

2002年10月13日
日本GPにてF1初入賞(5位)。
1997年ハンガリーグランプリの中野信治の6位入賞以来となる5年ぶりの日本人の入賞。

2003年1月
2003年B・A・Rホンダのリザーブ兼テストドライバーに就任。

2003年10月12日
ジャック・ヴィルヌーヴのチーム離脱を受け、F1日本GPにスポット参戦し6位入賞。シリーズ18位。

2004年3月
B・A・RホンダからF1フル参戦に復帰。

2004年4月3日 – バーレーンGPで1994年片山右京に並ぶ予選日本人最高位タイ(5位)を記録。

2004年5月8日
スペインGPで予選日本人最高位を更新(3位)。

2004年5月29日
ヨーロッパGPで予選日本人最高位を更新(2位)し、日本人初のフロントロー獲得。
翌日日本人初のラップリーダーも記録した。
2004年6月20日
アメリカGPで日本人最高位タイ(3位)。
F1の表彰台に上った日本人ドライバーは、1990年日本GPで鈴木亜久里が3位に入って以来、2人目。

2005年7月31日
同年12月中旬に第一子誕生の予定を発表(この後、婚姻届出)

2005年9月20日
2006年のB・A・Rホンダのドライバー体制が、ジェンソン・バトン、ルーベンス・バリチェロの2人となることが正式に決定。
これを受けた日本GP前の記者会見で、琢磨はホンダが技術支援して2006年に新規参入するチームからオファーを受けていることが明らかに。
その後そのチームは鈴木亜久里が代表を務めるスーパーアグリF1であることが判明した。

2006年2月15日
スーパーアグリF1へ移籍することが発表された。

2007年5月13日
第4戦スペインGPでチーム創設後初のポイント(8位・1ポイント)を獲得した。

2007年6月10日
第6戦カナダGPで6位入賞を果たし、3ポイントを獲得した。

2008年5月6日
スーパーアグリF1チームの撤退により、シートを喪失。

2010年2月15日
KVレーシングよりインディカー・シリーズに参戦することを発表。

2011年6月24日 – インディカー・シリーズ第8戦アイオワの予選で、 自身初のPPを獲得(日本人初)。 翌日の決勝はリタイア。

2011年7月23日
インディカー・シリーズ第10戦エドモントンの予選で2度目のPPを獲得(翌日の決勝は21位)。

2012年2月3日
レイホール・レターマン・レーシング に移籍することが発表された。

2012年4月29日
インディカー・シリーズ第4戦サンパウロの決勝で、予選25番手ながらも追い上げて3位に入賞する。
日本人で初めてF1世界選手権とインディカー・シリーズ両方のレースで表彰台に上った。

2012年7月22日
インディカー・シリーズ第11戦エドモントンの決勝で、2位入賞し自己最高成績(日本人最高位タイ)を更新。

2013年4月21日
インディカー・シリーズ第3戦ロングビーチ決勝で、日本人初優勝を記録。

2017年5月29日
インディカー・シリーズ第6戦
インディ500決勝で、
日本人初のインディ500優勝を記録。

(Wikipediaより引用)

1996年
ホンダと鈴鹿サーキットがフォーミュラカーを用いたレーシングスクール、

鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)

を設立したことを知ると、モータースポーツの世界に飛び込むことを決心。
大学を休学して、まずはカートを始め、モータースポーツ歴わずか半年で、 選抜方法を変えさせてまでして[当初予定になかった面接試験を行わせた] 競争率10倍の難関を突破してSRS-Fへ入学した。
他の上位の受講生達と同じく時には講師陣を上回る速さを見せた。


1997年首席で卒業。